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革修理ブログ
2025/08/18
バッグ修理 Louis Vuitton ショルダーバッグ ショルダー 付け根の革 交換施工修理
ソファ修理、バッグ修理の革研究所堺店、藤林です。
今日は泉大津市在住 Y様よりご依頼いただいた
★Louis Vuitton ショルダーバッグ ショルダー 付け根の革 交換施工修理★
をご紹介します!
目次
ショルダー付け根の革が切れかけています
ショルダー付け根の革が切れています
サルカン革の縫っている糸が緩んでいますね
ご依頼をいただいたLouis Vuittonのショルダーバッグですが、ショルダー付け根の革が切れかけと完全に切れています。また、ショルダーのサルカン革の縫われている糸が緩んでいますので、ショルダー付け根の革交換とサルカン革の縫い直しの施工修理を行います。
ショルダー付けの革にひび割れがある状態で使用していると劣化がすすみ、ひび割れから革の端っこが少しずつ切れてきます。
革を少し切れた状態で使用していると少しずつ切れている部分が広がったり、何か力が掛かった時に一気に切れることがあります。
サルカン革の縫いっている糸の緩みもそのまま使用していると何か引っ掛かった際に、縫い目の穴に切れ目が入ってしまったり、革が縫い目から革の端まで切れてしまう事があります。
また、糸が擦れて切れてしまい、サルカン革が外れてしまう事があります。
ひび割れの原因
人の肌と同じように乾燥するとカサカサになりますが、革製品も同じようにメンテナンスや保湿ケアをしていないと革がカサカサの状態になります。
さらにカサカサの状態から劣化が進むと革がひび割れてきます(>_<)
定期的にメンテナンス(クリーニング+保湿ケア)をしてあげるとより長くお使いいただく事ができますよー(^_^)/
それでは、
Louis Vuitton ショルダーバッグ ショルダー 付け根の革 交換施工修理をしていきます(^_^)/
完成したAFTER画像もお楽しみに!(^^)!
●ショルダー付け根の革取り外し
ショルダーバッグの内側の内張りの縫い目の糸を解きます。
ショルダー付け根の革の縫い目の糸を解きを取り外します。
●ショルダー付け根の革を新規製作
取外したショルダー付け根の革を採寸し、新しいヌメ革にマーキング・裁断をし、ショルダー付け根の革を製作します。
●ショルダー付け根の革を縫い付け
ショルダー付け根の革をバッグ本体の同じ位置に縫い付けます。
●サルカン革の縫い目の糸取り外し・縫い付け
サルカン革の縫い目の糸を解き、新しい糸を縫って、完成です!(^^)!
さて、どんな風に生まれ変わったでしょうか~(*^▽^*)
ショルダー付け根の革を交換したのでキレイになりました
ショルダー付け根の革を交換したのでキレイになりました
いかがでしょうか!!
ショルダー付け根の革交換&サルカン革の縫い直し!Louis Vuitton ショルダーバッグがキレイに生まれ変わりました!(^^)!
お渡しさせて頂いたときにすごく喜んでいただく事が出来ました~(*^-^*)
定期的にメンテナンス(クリーニング+保湿ケア)をしていただき末永くお使いいただけると嬉しいです(^_^)/
以上、
Louis Vuitton ショルダーバッグ ショルダー 付け根の革 交換施工修理!
でした!(^^)!
革研究所堺店は、ショルダー付け根の革交換修理以外にもバッグのクリーニング施工(クリーニング+保湿ケア)もさせていただいてま~す!
バッグや財布、ビジネスシューズ、ジャケットなどのアパレル関係などの「レザーリペア」「スレ傷補修」「染め直し」「カラーチェンジ」はぜひ!革研究所堺店にお任せください。
バッグの持ち手交換、財布のファスナー交換、金具交換などもお気軽にお問合せくださいね~!!
ソファの「スレ傷補修」「ひび割れ補修」「リペア修理」「染め直し修理」「カラーチェンジ」「クッション交換」「バネ交換」、「革の張替え」なども承っておりますのでお気軽にご相談くださいねー(*^^*)
ルイ・ヴィトンの創業者、ルイ・ヴィトンは、1821年にスイスと国境を接するフランスのジュラ山脈アンシェ村で生まれました。
そんな彼は、14歳のときに母親との関係が悪化したことで家を出てパリを目指して徒歩での旅を始めました。
1837年16歳のルイ・ヴィトンが徒歩でパリに到着し、マレシャル氏のもとで見習いをはじめました。
当時の主要な交通手段は馬車や船、汽車でした。それらの荷物は手荒く扱われていました。
そのため旅行者は職人に依頼し、個々に持ち物を荷造りして、保護してもらっていたといわれています。
それから間もなくルイ・ヴィトンは、パリのマレシャル氏のアトリエで重宝される職人となります。
これが、ルイ・ヴィトンの極めて特殊な職業の原点であり、顧客の要望に沿った木箱、トランクを特別注文で作るルイ・ヴィトンの職人的な製造業者としての経歴のはじまりでした。
当時のフランス宮廷では「クリノリン」と呼ばれる大きく広がったスカートが流行してました。
貴族たちが旅行する際には、これらの衣装を収納し持ち運ぶための木箱が必要でした。
ルイ・ヴィトンが手がけるトランクは、ボリュームのあるドレスのシルエットを損なわずに運ぶことができると評判になり、ナポレオン3世妃のウジェニーは、自ら梱包の指図をするほどおしゃれにうるさい人物でしたが、ルイ・ヴィトンを気に入り、彼だけに荷造りを任せるようになりました。
ルイ・ヴィトンはマレシャル氏のもとで17年間働き、1854年にルイ・ヴィトンは満を持してヴァンドーム広場からほど近い、ヌーヴ・デ・カプシーヌ通り4番地に世界で最初の旅行用トランク専門店をオープンしました。
ルイ・ヴィトンは、画期的な新作のトランクケースを発表します。
これまでのトランクケースは馬車に乗せて利用されており、雨が降った際に水が溜まりにくくするために上部が丸みを帯びたドーム型の形をしていました。
また、素材は革を使用していたため、トランクケースの中に入れる衣類を合わせると相当な重さになりました。
そこに目を付けたルイ・ヴィトンは、まず素材を革から重量の軽いコットンキャンパスに変更しました。
また、防水性を高めるため、防水加工を施した「グリ・トリアノン」という生地を開発しました。
防水加工を施した生地を開発したことで、雨が降っても濡れにくい素材にもかかわらず、重量の軽いトランクケースの開発に成功しました。
また、ルイ・ヴィトンが開発した画期的なトランクケースは、軽さや防水性が優れているだけではなく、上部が丸みを帯びたドーム型のトランクケースの形にも目を付け、上部を平らにした四角いトランクケースを作り上げました。
上部を平らにした理由としては、今後機関車や船などの移動手段が増えると考え、トランクケースを積み上げられるようになると便利だという考えのもとに生み出されました。
未来の発展を見据えたトランクケースは時代にマッチしたため、瞬く間に世間に広がり大人気商品となりました。
大人気商品となった事で製造が追いつかず、パリから数分離れた場所にある新工場アニエール=シュル=セーヌを1859年に設立します。
1859年に設立された工房アニエール=シュル=セーヌは、トランク製造用のポプラ材運搬のためのセーヌ川からアクセスがよく、1号店のあるキャプシーヌ大通りへもサンラザール駅を通じて立地の良い場所です。
現在でもアニエール=シュル=セーヌは工房として稼働しており、高級バックと昔ながらのラゲージ特注品が作られています。
そのため、40〜50年前の新聞紙を持ち込んでラゲージ特注品をオーダーをする客もいるほどです。
アニエール=シュル=セーヌの工房には多くの職人が在籍しており、レザー職人や馬具職人はもちろん木材大工などもいます。
どの職人も手作業でルイ・ヴィトン製品を作り上げていきます。
また、ルイ・ヴィトンから5代目となるパトリック・ルイ・ヴィトンのセカンドハウスでもあり、期間限定で訪れることのできる観光名所ともなています。
1867年にパリ万国博覧会が開催された際には、船旅に適した「ワードローブ・トランク」を発表し、銅メダルが授与されたことでさらにルイ・ヴィトンの名が世界に広まります。
1869年にはエジプト総督のイスマーイール・パシャから旅行中に果物を保存できる特注のトランク製造を依頼されたり、1875年にはイタリア系フランス人の探検家であるピエール・ブラザからどこでも眠れるベッド・トランクの依頼に応えたりと、名声を広めました。
また、ロシアのニコライ皇太子やスペイン国王のアルフォンソ12世・ラテン系の王侯貴族からも声をかけられています。
ルイ・ヴィトンの息子のジョルジュが拡大していくルイ・ヴィトン社を運営していきながら、世界へ発信をしていったことです。
ヨーロッパを離れてアメリカへも渡航し、ニューヨーク、シカゴなどを旅行しながら、ルイ・ヴィトン製品を売って歩きました。
ルイ・ヴィトンの名前が売れていけばいくほど模造品が出回ったものの、模造品に対抗すべくデザインを工夫しました。
偽造を防ぐ手段として考案したのがトランクの表面をオリジナルの柄で覆うことです。
1888年に市松模様にブランド名をあしらった「ダミエ・キャンバス」を発表。
まだ知的財産権などという意識は誰も持っていなかった時代、「ダミエ・キャンバス」の商標を登録することで、ルイ・ヴィトンは“デザインの価値”を世に問う先駆けとなりました。
1889年のパリ万国博覧会でルイ・ヴィトンは見事、金賞の栄誉に輝きます。
1890年5枚の錠前を開発。
1892年ヴィトン社はハンドバッグの販売を開始しました。
ルイ・ヴィトン製品の幅が広がっていくのを見届け71歳でこの世を去りました。
1893年 シカゴ万国博覧会に出展するなど、会社をうまく運営し続けると共に、著書『Le Voyage』(フランス語で旅の意)を出版しました。
1896年にダミエの模倣品が出回ってきたことから、ヴィトン社はそのトレードマークとなる布地を新たに発表した。
モノグラム・ラインと呼ばれることになるその模様は、様々なシンボルと共にルイ・ヴィトンを示す「LV」というマークが描かれています。
モノグラムは、万国博覧会で目にした日本の家紋に触発されています。
ジョルジュはその後アメリカ合衆国へ渡航、ニューヨーク、シカゴ、フィラデルフィアなど様々な街を旅行し、その訪問中にもヴィトン製品を売って歩きました。
1898年にはパリ・オートショーにヴィトン製品を出展しました。
1900年ジョルジュはパリ万国博覧会の「旅行アイテムおよび革製品」の部門を担当するという栄誉を得ました。
1901年ヴィトン社は、トランクの中に入れることのできる小さなカバン「スティーマーバッグ」を発表しました。
1904年ジョルジュはセントルイス万国博覧会において議長を務めました。
同年、ヴィトン社は新商品として、香水や衣類などの商品を小分けにできる仕切りの付いたトランクを発表しました。
1914年パリのシャンゼリゼ通りに世界最大のトラベル・グッズ専門店をオープン。
1978年日本の東京に3店、大阪に2店の合計5店舗がオープンしました。
1980~90年代
1981年日本初の直営店舗を東京・銀座並木通りにオープン。
1989年には香港に初の店舗をオープン。
1983年のアメリカスカップ挑戦艇選抜シリーズとして、ルイ・ヴィトンカップがスタート。
1985年エピ・ライン(麦穂柄)を発表。
1987年シャンパンメーカーのモエ・ヘネシーと合併し、LVMHが誕生しました。
LVMHグループはその後、クリスチャン・ディオールやフェンディなど有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長します。
1989年には香港に初の店舗をオープン。
1992年中国初の店舗を北京にオープン。
1998年デザイナーにマーク・ジェイコブスを迎え、アパレル商品、靴の展開をスタート。
また、モノグラム・ヴェルニラインもあわせて発表しました。
1999年ミレニアムに向けての限定品を3種発表。
サイバーエピライン(エナメルのようなエピ地にブラックライトを当てるとモノグラム柄が浮き出てくる)のアジェンダPM(6穴バインダー手帳)・グッド・ラック・ブレス、ミニトランク。
2000年代以降
2001年時計の展開をスタート。最新商品はジュネーブ、バーゼルなどの見本市で発表される。
2003年日本人デザイナー村上隆とのコラボレーションにより、黒地あるいは白地にモノグラムをカラフルに配した「モノグラム・マルチカラー」を発表しました。
発表された商品の中には、モノグラム模様の中にスマイリーマークが描かれた桜の花を配した商品「モノグラム・チェリーブラッサム」や大きな革製のリボンがついた商品なども発表されました。
同時に、村上隆のキャラクターであるパンダをモノグラムの上に描いたシリーズ「モノグラム・パンダ」も発売された。
2004年にも村上とのコラボレーションによる「モノグラム・チェリー」ラインが発表されました。
前年のサクラシリーズよりは少し落ち着いているもののモノグラム地の上にサクランボのイラストを載せるというデザインでありました。
2005年
・秋冬コレクションとしてキャンパス地のカジュアルなシリーズ「アンティグア」が発表されました。ナチュラルな生成と真っ赤なキャンバス地が素材になっています。
野球用バッグ「サック・ベースボール」が少量発売され、同商品が翌春、ルイ・ヴィトン・ジャパンより北海道日本ハムファイターズに当時所属の新庄剛志選手へ提供されました。
2006年
・春夏コレクションとして、モノグラム地にパンチングを施し、穴を開けた素材の「モノグラム・ペルフォ」、デニム素材の「モノグラム・デニム」が発売されました。
・電通との広告契約を終了し、新たにADKマインドシェアと契約。これ以降グループと同社との関係が継続している。
2007年
・秋冬コレクションとして、カラフルなモノグラムマルチカラーをファーの上にプリントした「モノグラム・ミンク」とメタリックな素材の「モノグラム・ミラー」を発売しました。
・2月にはバレンタインラインとしてハート型の小銭入れ「ポルトモネ・クール Porte-monnaie Coeur」、春コレクションは、モノグラムにフレンチレースを刺繍した「モノグラム・レース」、「デニム・パッチワーク」、「ポルカドット」など少数生産で多数コレクションになりつつあります。
一方、7月にはアメリカスカップへのスポンサー契約打ち切りを発表しました。
2014年 春夏コレクションを最後にマーク・ジェイコブスがクリエイティブディレクターを退任。
次の秋冬コレクションから後任の二コラ・ジェスキエールが指揮を執ります。
2018年 メンズコレクションのアーティスティック・ディレクターを務めていた
キム・ジョーンズが2018年秋冬メンズコレクションをもって退任し、初の黒人デザイナーとなるヴァージル・アブローがクリエイティブディレクターに就任しました。
2021年 メンズのクリエイティブディレクターであったヴァージル・アブローが、癌の為に亡くなったことが発表された。その際、数年間に渡り闘病生活をしていたことも明らかにされました。
2023年 音楽プロデューサー、歌手のファレル・ウィリアムスがメンズクリエイティブディレクターに就任しました。
ここまでLouis Vuittonの歴史についてご紹介させていただきました。
私たちの身近には色々な製品があります。
今後もブランドやソファなどについての歴史などをご紹介したいと思っております。
お手入れをすれば長く使えますので、革製品での補修や染め直し(リカラー)、カラーチェンジなどお困りごとがありましたらお気軽に革研究所堺店にお問合せください。
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