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革修理ブログ
2024/11/18
ルイ・ヴィトン 長財布 角スレ傷補修
みなさんこんにちは、革研究所 堺店です。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は、ルイ・ヴィトン 長財布
角スレ傷補修の施工をご紹介いたします。
目次
写真をご覧の通り、全体的にキレイな状態ですが、
パイピング部分と角に擦れ傷があります。
パイピング部分の擦れ傷が進み、コーナー部のパイピングが破れる場合があります。
今回は擦れ傷の補修をすることで綺麗な状態になります。
いかがでしょうか!!
パイピング部分と角のスレ傷がありましたが、補修をする事で
綺麗な状態になり劣化を食い止めることができるので、
補修前の状態で使うよりもより長く使うことができます。
1,クリーニング
長年の使用によって蓄積された手あかなどの油汚れを取り除く。
2,擦り傷や荒れた革表面を平滑にする
スポンジ研磨材を使用し、バッグ全体を研磨、削りカス除去
3,補修材の擦り込み
コーナー部のパイピング部分は補修材の擦り込みと研磨、確認を繰り返し平滑にする
スポンジ研磨材で凸凹を整える
革研究所 堺店
住所:〒593-8302 大阪府堺市西区北条町2-23-16 革研究所 堺店
電話番号: 072-200-3500
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土曜日・月曜日は不定休でお休みさせていただきます。
出張可能エリア
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公共交通機関でのご来店
JR阪和線 上野芝駅より徒歩17分
お車でのご来店
阪神高速湾岸線 出島出口より約15分
阪和道 堺インターより約15分
※納品等で外出している可能性がございますので、
ご来店する際は、事前におおよその日時のご連絡をお願いいたします。
ルイ・ヴィトンの創業者、ルイ・ヴィトンは、1821年に
スイスと国境を接するフランスのジュラ山脈アンシェ村で、
生まれました。
そんな彼は、14歳のときに母親との関係が悪化したことで家を出て
パリを目指して徒歩での旅を始めました。
1837年16歳のルイ・ヴィトンが徒歩でパリに到着し、マレシャル氏のもとで
見習いをはじめました。
当時の主要な交通手段は馬車や船、汽車であり、それらの荷物は手荒く扱われていました。
そのため旅行者は職人に依頼し、個々に持ち物を荷造りし、保護してもらっていたといいます。
それから間もなくルイ・ヴィトンは、パリのマレシャル氏のアトリエで重宝される職人となります。
これが、ルイ・ヴィトンの極めて特殊な職業の原点であり、木箱、そして後にトランクを
顧客の要望に沿って特別注文で作る彼の職人的な製造業者としての経歴のはじまりでした。
当時のフランス宮廷では「クリノリン」と呼ばれる大きく広がったスカートが流行してました。
貴族たちが旅行する際にはこれらの衣装を収納し持ち運ぶための木箱が必要不可欠でした。
ルイ・ヴィトンが手がけるトランクは、ボリュームのあるドレスのシルエットを
損なわずに運ぶことができると評判になり、
ナポレオン3世妃ウジェニーは、自ら梱包の指図をするほどおしゃれにうるさい人物でしたが、
ルイ・ヴィトンを気に入って彼だけに荷造りを任せるようになりました。
ルイ・ヴィトンはマレシャル氏のもとで17年間働き、1854年にルイ・ヴィトンは満を持して
ヴァンドーム広場からほど近い、ヌーヴ・デ・カプシーヌ通り4番地に
世界で最初の旅行用トランク専門店を開設しました。
ルイ・ヴィトンは、画期的な新作のトランクケースを発表します。
これまでのトランクケースは馬車に乗せて利用されており、雨が降った際に
水が溜まりにくくするため、上部が丸みを帯びたドーム型をしていました。
また、素材は革を使用していたため、トランクケースの中に入れる衣類を
合わせると相当な重さになっていました。
そこに目を付けたルイ・ヴィトンは、まず素材を革から重量の軽い
コットンキャンパスに変更します。
防水性を高めるため、防水加工を施した「グリ・トリアノン」という
生地を開発しました。
生地を開発したことで、雨が降っても濡れにくい素材にもかかわらず、
重量の軽いトランクケースの開発に成功しました。
また、ルイ・ヴィトンが開発した画期的なトランクケースは、
軽さや防水性が優れているだけではありませんでした。
上部が丸みを帯びたドーム型のトランクケースの形にも目を付けて、
上部を平らにした四角いトランクケースを作り上げました。
上部を平らにした理由としては、今後機関車や船などの移動手段が
増えると考え、トランクケースを積み上げられるようになると便利だ
という考えのもとに生み出されました。
未来の発展を見据えたトランクケースは時代にマッチしたため、
瞬く間に世間に広がり大人気商品となりました。
大人気商品となった事で製造が追いつかず、パリから数分離れた場所に
ある新工場アニエール=シュル=セーヌを1859年に設立します。
1859年に設立された工房アニエール=シュル=セーヌは、
トランク製造用のポプラ材運搬のためのセーヌ川からアクセスがよく、
1号店のあるキャプシーヌ大通りへもサンラザール駅を通じて
立地の良い場所です。
現在でもアニエール=シュル=セーヌは工房として稼働しており、
高級バックと昔ながらのラゲージ特注品が作られています。
そのため、40〜50年前の新聞紙を持ち込んでラゲージ特注品を
オーダーする客もいるほどです。
アニエール=シュル=セーヌの工房には多くの職人が在籍しており、
レザー職人や馬具職人はもちろん、木材大工などもいます。
どの職人も手作業でルイ・ヴィトン製品を作り上げていきます。
また、ルイ・ヴィトンから5代目となるパトリック・ルイ・ヴィトンのセカンドハウスでもあり、期間限定で訪れることのできる観光名所ともなています。
1867年にパリ万国博覧会が開催された際には、
船旅に適した「ワードローブ・トランク」を発表し、
銅メダルが授与されたことでさらにルイ・ヴィトンの名が世界に広まります。
1869年にはエジプト総督のイスマーイール・パシャから旅行中に
果物を保存できる特注のトランク製造を依頼されたり、
1875年にはイタリア系フランス人の探検家であるピエール・ブラザから
どこでも眠れるベッド・トランクの依頼に応えたりと、名声を広めました。
また、ロシアのニコライ皇太子やスペイン国王のアルフォンソ12世・
ラテン系の王侯貴族からも声をかけられています。
ルイ・ヴィトンの息子のジョルジュが拡大していくルイ・ヴィトン社を
運営していきながら、世界へ発信をしていったことです。
ヨーロッパを離れてアメリカへも渡航し、ニューヨーク、シカゴなどを
旅行しながら、ルイ・ヴィトン製品を売って歩きました。
ルイ・ヴィトンの名前が売れていけばいくほど模造品が出回ったものの、
模造品に対抗すべくデザインを工夫しました。
偽造を防ぐ手段として考案したのがトランクの表面をオリジナルの柄で覆うことです。
1888年に市松模様にブランド名をあしらった「ダミエ・キャンバス」を発表。
まだ知的財産権などという意識は誰も持っていなかった時代、「ダミエ・キャンバス」の商標を登録することで、ルイ・ヴィトンは“デザインの価値”を世に問う先駆けとなりました。
1889年のパリ万国博覧会でルイ・ヴィトンは見事、金賞の栄誉に輝きます。
1890年5枚の錠前を開発。
1892年ヴィトン社はハンドバッグの販売を開始しました。
製品の幅が広がっていくのを見届け、ルイは71歳でこの世を去りました。
1893年 シカゴ万国博覧会に出展するなど、会社をうまく運営し続けると共に、
著書『Le Voyage』(フランス語で旅の意)を出版しました。
1896年にダミエの模倣品が出回ってきたことから、
ヴィトン社はそのトレードマークとなる布地を新たに発表した。
モノグラム・ラインと呼ばれることになるその模様は、
様々なシンボルと共にルイ・ヴィトンを示す「LV」というマークが描かれています。
モノグラムは、万国博覧会で目にした日本の家紋に触発されています[3]。
ジョルジュはその後アメリカ合衆国へ渡航、ニューヨーク、シカゴ、
フィラデルフィアなど様々な街を旅行し、その訪問中にもヴィトン製品を
売って歩きました。
1898年にはパリ・オートショーにヴィトン製品を出展しました。
1900年ジョルジュはパリ万国博覧会の「旅行アイテムおよび革製品」の部門を
担当するという栄誉を得ました。
1901年ヴィトン社は、トランクの中に入れることのできる小さなカバン
「スティーマーバッグ」を発表しました。
1904年ジョルジュはセントルイス万国博覧会において議長を務めました。
同年、ヴィトン社は新商品として、香水や衣類などの商品を小分けに
できる仕切りの付いたトランクを発表しました。
1914年パリのシャンゼリゼ通りに世界最大のトラベル・グッズ専門店をオープン。
1978年日本の東京に3店、大阪に2店の合計5店舗がオープンしました。
1980~90年代
1981年日本初の直営店舗を東京・銀座並木通りにオープン。
1989年には香港に初の店舗をオープン。
1983年のアメリカスカップ挑戦艇選抜シリーズとして、ルイ・ヴィトンカップがスタート。
1985年エピ・ライン(麦穂柄)を発表。
1987年シャンパンメーカーのモエ・ヘネシーと合併し、LVMHが誕生しました。
LVMHグループはその後、クリスチャン・ディオールやフェンディなど
有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長します。
1989年には香港に初の店舗をオープン。
1992年中国初の店舗を北京にオープン。
1998年デザイナーにマーク・ジェイコブスを迎え、アパレル商品、靴の展開をスタート。
また、モノグラム・ヴェルニラインもあわせて発表しました。
1999年ミレニアムに向けての限定品を3種発表。
サイバーエピライン(エナメルのようなエピ地にブラックライトを当てると
モノグラム柄が浮き出てくる)のアジェンダPM(6穴バインダー手帳)
・グッド・ラック・ブレス、ミニトランク。
2000年代以降
2001年時計の展開をスタート。最新商品はジュネーブ、バーゼルなどの見本市で発表される。
2003年日本人デザイナー村上隆とのコラボレーションにより、黒地あるいは白地に
モノグラムをカラフルに配した「モノグラム・マルチカラー」を発表しました。
このときに発表された商品の中には、モノグラム模様の中にスマイリーマークが
描かれた桜の花を配した商品「モノグラム・チェリーブラッサム」や、
大きな革製のリボンがついた商品なども発表されました。
同時に、村上隆のキャラクターであるパンダをモノグラムの上に描いたシリーズ
「モノグラム・パンダ」も発売された。翌2004年にも村上とのコラボレーションによる
「モノグラム・チェリー」ラインが発表されました。
前年のサクラシリーズよりは少し落ち着いているものの、モノグラム地の上に、
サクランボのイラストを載せるというデザインでありました。
2005年
・秋冬コレクションとしてキャンパス地のカジュアルなシリーズ「アンティグア」が
発表されました。
ナチュラルな生成と真っ赤なキャンバス地が素材になっています。
野球用バッグ「サック・ベースボール」が少量発売され、同商品が翌春、
ルイ・ヴィトン・ジャパンより北海道日本ハムファイターズに当時所属の新庄剛志選手へ提供されました[4]。
2006年
・春夏コレクションとして、モノグラム地にパンチングを施し、
穴を開けた素材の「モノグラム・ペルフォ」、デニム素材の「モノグラム・デニム」が発売されました。
・電通との広告契約を終了し、新たにADKマインドシェアと契約。
これ以降グループと同社との関係が継続している。
2007年
・秋冬コレクションとして、カラフルなモノグラムマルチカラーをファーの上にプリントした
「モノグラム・ミンク」とメタリックな素材の「モノグラム・ミラー」を発売しました。
・2月にはバレンタインラインとして、ハート型の小銭入れ
「ポルトモネ・クール Porte-monnaie Coeur」、
春コレクションは、モノグラムにフレンチレースを刺繍した
「モノグラム・レース」、「デニム・パッチワーク」、「ポルカドット」など少数生産、
多数コレクションになりつつあります。
一方、7月にはアメリカスカップへのスポンサー契約打ち切りを発表しました。
2014年 - 春夏コレクションを最後にマーク・ジェイコブスがクリエイティブディレクターを退任。
次の秋冬コレクションから後任の二コラ・ジェスキエールが指揮を執ります。
2018年 - メンズコレクションのアーティスティック・ディレクターを務めていた
キム・ジョーンズが2018年秋冬メンズコレクションをもって退任し、
初の黒人デザイナーとなるヴァージル・アブローがクリエイティブディレクターに就任しました。
2021年 - メンズのクリエイティブディレクターであったヴァージル・アブローが、
癌の為に亡くなったことが発表された。
その際、数年間に渡り闘病生活をしていたことも明らかにされました。
2023年 - 音楽プロデューサー、歌手のファレル・ウィリアムスがメンズクリエイティブディレクターに就任しました。
ここまでルイ・ヴィトンの起源・歴史について紹介させていただきましたが、
私たちの身近には色々な革製品があります。
今後も革についての歴史などをご紹介したいと思っております。
お手入れをすれば長く使えますので、革製品での補修や染め直し(リカラー)、
カラーチェンジなどがありましたらぜひ革研究所堺店にご連絡ください。
革鞄・バック
革の鞄(カバン)のスレやキズの補修、変色、革の色を変える(カラーチェンジ)までお任せください。VUITTON(ヴィトン)GUCCI(グッチ)等の革ブランド品も修理可能です。
財布・小物
革財布(サイフ)、小銭入れ、キーケース等の小物全般の革のキズ、スレをキレイに修理いたします。CHANEL(シャネル)GUCCI(グッチ)等のブランド革小物の修理ももちろんOKです。
革靴・ブーツ
男性物の革靴、女性物のブーツ等靴の革修理(スレ・キズの補修)も可能です。思い出の有る革靴等の修理はお任せください。もちろん革靴の修理に関してもブランド靴の修理可能です。
革衣類
革ジャン、革コート・革のジャケット等革衣類の修理、補修もお任せください。部分的なスレ・キズの補修から、革全体の色を変える(カラーチェンジ)まで幅広く対応いたします。
ソファー・椅子
革ソファー・革の椅子の修理実績も多数ございます。痛み具合によっては革の張替えも可能です。カッシーナ(CASSNA)等のブランドソファー修理もお気軽にご相談ください。
自動車内装
自動車の革ハンドル・革シートの修理(リペア)も可能です。ベンツ・BMWなどの高級外車から、国産の自動車まで数多くの修理実績がございますのでお気軽にお問合せください。
代表者 藤林 薫
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