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2025/04/07

クリスチャンディオール バッグの染め直し

みなさんこんにちは、革研究所 堺店です。

ブログをご覧いただきありがとうございます (^_^)/

 

今回は、クリスチャンディオール  バッグ

染め直し修理をご紹介いたします。

 

大阪市在住 M様からご依頼をいただきました。

 

目次

①施工前の画像とご説明

②施工後の画像とご説明

③今回の染め直し修理の工程

④クリスチャン・ディオール 歴史のご紹介

⑤施工ご依頼・お問合せ方法・アクセス方法

 

 

①施工前の画像とご説明

 

 

 

 

写真をご覧の通り、色褪せはありませんが、バッグ底 四隅のスレ傷、

持ち手のスレ傷、持ち手の革が少し捲れている部分があります。

 

このままの状態で使用するとスレ傷が進み、革がひび割れたり

革が破れてくる場合があります。

 

今回はバッグ底 四隅のスレ傷、持ち手のスレ傷、

持ち手の革が少し捲れている部分補修、

染め直しをすることで綺麗な状態になります。

 

②施工後の画像とご説明

 

 

 

 

いかがでしょうか!!

バッグ底 四隅のスレ傷、持ち手のスレ傷、

持ち手の革が少し捲れている部分がありましたが、

補修、染め直しをする事で綺麗な状態になり劣化を

食い止めることができるので補修前の状態で使うよりも

より長く愛用することができます。

 

今回のご依頼は、染め直し修理でしたが、

革の色をカラーチェンジ施工も可能ですのでお気軽にご相談ください。

 

 

③今回の染め直し修理の工程

1,クリーニング

バッグに長年の使用によって蓄積された手あかや皮脂などの油汚れを取り除く

2,非塗装部分の養生(マスキング)

ファスナーや金具、ロゴなど塗装しない部分の養生

3,擦り傷や荒れた革表面を平滑にする

スポンジ研磨材を使用し、持ち手を研磨

4,脱脂

アルコール系の溶剤を使用し、脱脂作業

手の油分やスポンジ研磨後の削りカスなどを除去

5,補修剤の擦り込み

バッグ底の四隅のスレ傷、持ち手の革が捲れている部分に

補修剤の擦り込みとスポンジ研磨材で研磨、

確認を繰り返し平滑にし凸凹を整える

6,革の表面を平滑に仕上げる補修剤を塗布

バッグ全体に補修剤を塗布し、平滑にする

7,乾燥

8,塗料を調色

数種類の塗料からグラム単位で調色

9,調色した塗料+色止めコーティング剤を塗布

スプレーガンで調色した塗料と色止めコーティング剤をバッグに塗布

10,乾燥

塗料と色止めコーティング剤を塗布した部分に触れたり、

当たらないように気を付けて乾燥

11,オイル仕上げ

バッグ全体にオイルを塗り仕上げます

 

 

④クリスチャン・ディオール 歴史のご紹介

クリスチャン・ディオールが創業したフランスのラグジュアリーブランドです。

ウェアからバッグ、小物などのアクセサリー、ジュエリー、

コスメティクスまでトータルで展開しています。

 

創業者:クリスチャン・ディオール

1905年、クリスチャン・ディオールはフランス北西部ノルマンディー地方、

マンシュ県・グランヴィルで、モーリス・ディオールの5人の子供の内の

2人目として生まれました。

父親は肥料の生産事業を行う裕福な家庭でした。

彼が5歳のころに一家はパリへと移住したものの、夏のヴァカンスのたびに

ノルマンディーの海岸へと戻っていました。

彼の両親は息子に外交官になってほしいと望んでいました。

そのため、1920年から1925年12月までフランスのパリ政治学院で学びました。

 パリ政治学院で学びながらも彼自身は芸術に強い興味を持っていました。

結局パリ政治学院は中退し、1928年に父親からの出資をもとにして、

友人と共に小さなアートギャラリーを持ち、パブロ・ピカソや

マックス・ジャコブなどの画を置いきました。

しかし、3年後、世界恐慌によって彼の父親が父親が事業に失敗したことを受けて、

ギャラリーも閉鎖を余儀なくされます。

1937年、ディオールはファッションデザイナーのロベール・ピゲに

雇われました。

そこでピゲのコレクションのためにデザインをする機会を得ました。

後年、ディオールは「ピゲからシンプルであることの長所によって

真のエレガンスが現れることを教わった」と語っています。

ディオールがピゲのためにデザインしたもののなかには、例えば'Cafe Anglais'などがあり、これは好意的に受け入れられました。

同時期のピゲの下ではピエール・バルマンもおり、

ディオールとバルマンは共に働いていました。

しかし、徴兵によってディオールはピゲの下を離れることになりました。

1942年になって軍隊から戻ったディオールは、リュシアン・ルロンの

ファッションハウスに加わります。

同時期のルロンの下にはピエール・バルマンもおり、

ここでもディオールとピエール・バルマンは主要なデザイナ-でした。

第二次世界大戦勃発からナチス・ドイツによるフランス占領の間は、

フランスのファッション業界を持続させる経済的・芸術的な理由などにより、

ルロンの下にいたディオールはナチスの高官やそれに協力する

フランス人の夫人のためのドレスなどをデザインすることを余儀なくされました。

これはジャン・パトゥ、ジャンヌ・ランヴァン、ニナ・リッチなどその他の多くの

ブランドでも同様で、そのクチュールメゾンを戦時下で経営維持するために

半ば避けられない状態でした。

 

 

1946年にマルセル・ブサック(綿のファブリック王)の公演をもとに

パリ8区アヴェニュー・モンテーニュ30番地で創業を開始しました。

 

1947年に「ニュールック」を発表しました。

ニュールックは、なだらかな肩のラインと細くマークされたウエストから広がる

ロング・スカートを特徴としています。

ロング・スカートの形状から「コロール(花冠)・ライン」や

「8(エイト)ライン」とも呼ばれます。

このスタイルは戦時中に制限されていた布地の使用量を大幅に増やし、

女性の曲線美を強調しました。

アメリカのファッション雑誌「ハーパーズ・バザー」の編集長であった

カーメル・スノーによって「ニュールックだ!」と絶賛され、

その名が世界に広まりました。

ニュールックは戦後のファッション界に革命的な衝撃を与え、

一大旋風を巻き起こしました。

当時の女性たちは簡素で男性的な服装に飽き足らず、

より女性らしくエレガントな服装を求めていました。

 

ディオールはこれに応える形でニュールックを発表し、

女性たちの心をつかみました。

ニュールックは平和の象徴とも言われ、世界中の女性たちに広く受け入れられました。

ニュールックは「新しい」という意味がありますが、

歴史的に見ればこれはリバイバルなのです。

16世紀以降の女性服の基本型の現代的アレンジと言えます。

また、ニュールックよりも過去のスタイルとまったく同じというわけではなく、

ディオールのファッションは装飾が少ないシンプルなデザインとなっています。

その後、48年「ジグザグライン」、50年「バーティカルライン」、

51年「オーバルライン」、52年、「シニュアスライン」、

53年「チューリップライン」、54年「Hライン」、55年「Aライン」、

56年「アローライン」と、立て続けに新しいシルエットを提案しました。

 

1948年、香水部門の会社「パルファン・クリスチャン ディオール」を設立し、

アメリカにおいてライセンス生産を開始しました。

また、ライセンス契約で、ストッキング、ネクタイ、食器類などを生産していきます。

ブランドビジネスの先駆け的な存在となりました。

 

1957年、イタリアに旅行中、心臓麻痺により52歳で急逝しました。

 

 

イヴ・サンローラン

ディオール亡き後に「イヴ・サンローラン」がクリエイティブ・ディレクター

(デザインの責任者)に就任しました。

イヴ・サンローランは、ディオールの伝統を受け継ぎながらも、

自分の感性を反映した斬新なデザインを次々と生み出しました。

彼の最初のコレクションはトラペーズ(ひし形のシルエット)と呼ばれるもので、

女性の体にぴったりとした服ではなく、ゆったりとした服を提案しました。

これは、当時の女性の解放と自由を象徴するもので、大きな反響を呼びました。

彼の最後のコレクションはモンドリアン(抽象画家)と呼ばれるもので、

色と形のバランスが美しい服を作りました。

しかしイヴ・サンローランは、クリエイティブ・ディレクター就任3年後に

徴兵によってブランドを離れることになったといわれています。

徴兵期間が終わったイヴ・サンローランは、1961年に自身のブランドである

「イヴ・サンローラン」を立ち上げることになります。

 

 

マルク・ボアン

1960年にイヴ・サンローランがブランドを離れた後、

後任のクリエイティブ・ディレクターに「マルク・ボアン」が就任しました。

マルク・ボアンは、30年間にわたって務めました。

その間に、彼は約100回のコレクションを発表しました。

彼のスタイルはディオールの伝統的な女性らしさを維持しつつ、

時代の変化に合わせてシンプルで洗練されたものになりました。

彼の作品は、エレガントで上品なものが多く、王室や貴族、

セレブリティなどの高級な顧客層に人気がありました。

マルク・ボアンは1989年にディオールを退職しました。

 

 

ジャンフランコ・フェレ

1944年にイタリアのルガーノで生まれました。

1989年にディオールのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されました。

これはディオールの創業者であるクリスチャン・ディオールの死後、

同社を率いたデザイナーの中で初めての外国人だったのです。

 

ジャンフランコ・フェレはディオールにおいても自身の個性を発揮しました。

彼はディオールの伝統であるフェミニンでエレガントなスタイルを尊重しつつ、

自らの建築的な感覚を加えました。

彼はボリュームのあるシルエットやドレープ、刺繍などを駆使し、

華やかで豪華なコレクションを次々と発表しました。

 

彼は1996年にディオールを退任し、自身のブランドに専念しましたが、

2007年に心不全で亡くなりました。彼の死はファッション界に

大きな衝撃を与えました。

 

 

ジョン・ガリアーノ

1995年まではジバンシィのデザイナーとして活躍していましたが、

翌年に1996年から15年に渡り、ディオールに就任したイギリス人デザイナーです。

 

ディオールにおいてジョン・ガリアーノは、創業者のクリスチャン・ディオールの

遺志を受け継ぎながら、自らの感性と技術を発揮しました。

彼はディオールの代名詞である「ニュールック」を再解釈し、

女性らしさとエレガンスを表現しました。

また、彼はディオールのオートクチュール(高級仕立て服)のコレクションで、

驚くべき演出と美しさを見せました。

 

2007年にはディオール創業60周年を記念してヴェルサイユ宮殿で

ショーを行いました。

このとき彼は18世紀のフランス王室の豪華なドレスをモダンにアレンジした、

息をのむような作品を披露しました。

このようにジョン・ガリアーノは、ディオールのブランドイメージを

高めるとともにファッション界に多大な影響を与えました。

2011年に彼は反ユダヤ的な発言をしたとして逮捕され、ディオールから解雇されました。

 

 

メンズラインは、2000年、エディ・スリマンがディオール・オムを

立ち上げて、大きな反響を呼び、メンズファッションとしても影響力を発揮しました。

 

2007年、ディオール オムの新デザイナーにクリスヴァンアッシュが就任しました。

 

2012年、ラフ・シモンズがアーティスティック・ディレクターに就任しました。

 

2014年、大規模な展覧会「エスプリ ディオール」を東京・銀座で開催しました。

ブランドのドレス、フレグランス、アクセサリー、資料や写真を通して、

過去から現在までの軌跡を紹介。多くの人が会場を訪れました。

2015年3月、映画『ディオールと私』日本公開。

ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)が初めて手掛けた

2012年秋冬オートクチュールコレクションの舞台裏に迫るドキュメンタリーです。

 

2016年春夏コレクションを最後にラフ シモンズが退任します。

その後はデザインチームがコレクションを手掛けています。

 

2016年にヴァレンティノ(VALENTINO)のクリエイティブ・ディレクターを

退任したマリア・グラツィア・ キウリがウィメンズ オートクチュール、プレタポルテ、アクセサリーコレクションのアーティスティック・ディレクターに就任

(2022年現在はクリエイティブ ディレクター)。

 

2016年、リアーナとディオールがコラボレーションしました。

限定サングラス「リアーナ」発売します。

 

2018年、ディオール オムのアーティスティック ディレクターを

クリスヴァンアッシュが退任します。

同ポジションには、キム・ジョーンズが就任しました。

これに伴い、2019春夏コレクションより、メンズライン

「ディオール オム(DIOR HOMME)」が、ブランド名を改め、

ウィメンズラインとともに「ディオール(DIOR)」として生まれ変わることになります。

2019年夏コレクションにて、キム・ジョーンズがメンズの新定番スーツ「

テイラー オブリーク」を発表しました。

クリスチャン ディオールが1950-51年秋冬コレクションで手掛けた

「オブリーク コレクション」からインスピレーションを得ていいます。

 

2020年3月、「ディオール、パリから日本へ」展を大阪・阪急うめだ本店で開催します。

 

2020年3月、ビューティ・ファッション・ファイン ジュエリー&タイムピーシズ

のジャパン アンバサダーとして音楽家のCocomiを起用しました。

フォール 2020 メンズコレクションにて、

ナイキのジョーダンブランドとコラボレーションします。

 

2021年、ディオール ビューティーのジャパン アンバサダーとして山下智久を起用。

 

2021年、メゾン・フランシス・クルジャンのフランシス・クルジャンが

パルファン・クリスチャン・ディオールのパフューム クリエイション ディレクターに就任。

 

2022年12月、ロンドンやニューヨークなどを巡回してきた展覧会「

クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」が、東京都現代美術館で開催しました。

 

 

ここまでクリスチャン・ディオールの歴史について

ご紹介させていただきましたが、私たちの身近には色々な革製品があります。

今後もブランドなどの歴史などをご紹介したいと思っております。

 

お手入れをすれば長く使えますので、革製品での補修や染め直し(リカラー)、

カラーチェンジなどがありましたらお気軽に革研究所堺店にお問合せください。

 

⑤施工ご依頼・お問合せ方法・アクセス方法

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